のののののの建築工房 studio HAIYAMA / アーカイプス
 
             
               
    2017− 毎日が・・・        
 日曜大工/手織り・展 

      
             
■studiio HAIYAMA
 プロフィール
  高いところから失礼します
 DIYこそ地球環境を護る究極の切り札−と持ち上げてくださる上田篤先生の甘言に誘われ、先生が昨年(2016,年5月.)、日本の野山の保護と再生にかかる研究者と活動家を総動員して出版された著作「ウッドファースト」(別冊環21・藤原書店)に、私の「日曜大工」を載せていただきました。たった一ページのコラムですが−。
 私の−というより、日本のDIY史はイコール戦後史ですから、結局は私のプロフィール風の文章になってしまいました。以下に転載して、自己紹介に代えます。
2016.1.1
灰山 彰好

「日曜大工の楽しさ」  

 戦後の住宅困窮期、日曜大工は草野球と共に、男子の一般教養だった。当時の住まいは寝と食で精いっぱい、子供の勉強部屋の捻出に、世の父親は苦労した。押入れの勉強部屋が定番だったが、私は階段に沿って建坪一畳半二階建て、計三畳一坪半の「研究室」を増築してもらった。あれから七十余年経って今度は家余り、空き家の処遇が国民的課題となり、古屋の再生がTVの人気番組となっている。父や祖父の素人工事に失笑しつつ、匠の力量に感心する番組構成−家は建てるより直す方が面白い。住宅ストックを活かすココロとスキルは、空き家再生につながる。
 素人の空き家再生は、無責任な放言ではない。坂の町尾道では日曜大工系の男子女子が集結し、戦後の造船景気が遺した借家ストックをアトリエ、カフェ等のカタカナ施設に改変し、古寺や昭和戦前のレトロ建築とよく調和した観光スポットを手作りしている。イギリスのB&Bはその多くが古屋空き家の改造であり、イギリス人のカントリーライフを彷彿させる手作り感が心地よい。サッチャー首相は国民に「家は自分で建てろ」と号令したと聞くが、国民は手作りしろの意と受け取ったらしい。
 今日、日本で問題となっている空き家は高度経済成長の遺産である郊外の庭つき一戸建て、尾道の老朽住宅に較べてはるかに優良な空き家である。親は子に継いでもらうつもりで建てたが、子供はマンションに目移りしていて見向きもしない。住宅問題は今や木造とコンクリートの戦いに移っているのである。
  では、日曜大工(DIY)で空き家再生にどう取り組むか。僭越ながら私の体験を述べてお答えとしたい。 
 私の最初の職場は建築学科の製図室、卒業生によると掃除をしょう、コンペをやろう、展覧会をやろう−の三つが私の口癖だったらしい。DIYが人を育てる。逃げないで付き合ってくれた学生が設計のプロになっている。研究が一段落して女子大に転出、今度は工学部ではなく゛生活科学部の看板の下で建築教育に従事した。学部設立の趣旨に照らすと、日曜大工はお墨付きを頂いたようなもの、実験実習室の整備に学生は面白がって取り組み、結果的にその人たちはプロになった。日曜日は安息日と定めた大学なので、土曜大工ではあったが−。
 住宅の日曜大工では、公務員宿舎に入れたもらった折に面白い体験をした。コンクリート外壁に面した押入れが猛烈に結露し、スノコを作る板を買いに雑貨屋に出かけたところ既製品が山積み(結露はコンクリートアパートの持病だった)、自作するより安いので買って帰った。スノコは四国の材木屋が端材で作ったヒット商品とのこと、その材木屋は後にホームセンターチェーンに発展した。ホームセンターは日曜大工の味方というが、最初の出会いはライバルだった。
 私の日曜大工が本格的になったのは、やはり自宅建設がきっかけである。妻(hpのもう一つの看板−手織りの主、念のため)の注文は「クギが打てる家」、私にも教材として建てる義理があったので、天井を貼らない、木造骨組みが丸見えの素(ス)の家を(大工)が建てた。木造だったらクギが打てるのは当たり前?ではない。普通、壁紙の下は石膏ボードなので「ボードにクギ」、クギを効かすには相応の工夫が必要なのである。竣工後は私のお楽しみタイム、二十余年、注文が多い台所を中心に仕上げ工事が続いている。ハイライトは文字通りトップライトの新設。建て詰まりの敷地ゆえ暗かった室内に一条の明かり、質素な室内が突然絵になった。
 キャリアを終えて現在は毎日が日曜日、父が遺した家に研究室を移し、工房を設けて子供時代の続きをやっている。一年前に大きな転機があった。バッハをユーチューブで聴いている内に楽器制作のマエストロに遭遇、マエストロの工作自慢に導かれて、「世界の」日曜大工の世界を知った。とにかく、英語を中心にドイツ語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、中国語等がグローバルに飛び交って技量を競っている。住宅事情のせいか日本は明らかに劣勢、江戸指物がひとり気を吐いている。職人芸は産業として成り立たないので、伝統技術は日曜大工にグルーピングされているらしい。世界の諸兄に比較して余りに稚拙な我が技量を猛反省、今はスキルアップに励む毎日である。
 さて、日曜大工で日本の山が救えるか。スノコがホームセンターを育てたように、端材の販路として役立つ。木造住宅はCO2のストックとして評価できる等々(試算によると拙宅のCO2ストック量は私のマイカーが輩出するCO2量1年分である)。しかし何よりも木の家のファンを増やすのが一番の役割、そうすれば自ずと道が見えてくるはず。日曜大工に開眼した記念に、今年の3月、市のギャラリーで「毎日が日曜大工・手織り展」を開くことにしている。
  


             
               
               
               
               
               
               
               
               
   
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