studio HAIYAMA
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ロータス -DATSUN- 6

1965
 大学を卒業し就職はまだ、という修士課程の折り、創刊直後のカーグラフィック誌で見てしまった。アマチュアリズムの発祥地イギリスではクルマいじりが男子の一般教養で、「スポーツカーの組立キットを売っている」とー。中古パーツを活用するバックヤード・スペシャルと分類されるクルマ文化とか、その中で抜きんでた存在がコリン・チャップマンのロータスセブン。建築デザイナーを自負する自分、キットをどうやって買おうかではなく、どうやって作ろうか、と反応してしまった。しかし当時の日本車には前輪独立サスの中古部品がない。色々調べているうちに、セブンの前にはシックスがあることが分かった。これなら作れる。

   中古パーツを使ったロータスセブン組立キット。今日、スーパーの社長用にスーパーセブンの後継車が500万円で売られており、それはそれで立派なビジネスと思うが、健全な青少年を育成するにはこちらの方が−。
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 天の啓示とその時は思ったロータスシックスの前輪独立サスの解説図(雑誌モーターファンの新車紹介)。旧式車のリジッドアクスル(固定車軸)を半分に切ってコイルスプリングで懸架している。知りたかった骨組みもこれでバッチリ、早速当時どこにでもあったダットサン860ccの廃車を買いに行った。設計図はそれから作成。当時の日本車は元がトラックなので部品が無骨で、どうしてもロータスにはならなかった。ここで疑問、車輪がなくなったシャシーやボディーをどうやって処分したのだろう。思い出せない。事前に改良届けを出していたし、広島日産が身元引き受けをして下さったので、お情けで車検をパス、友人の助けを借りながら3年走った。
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 さらなるパワーを求めてカーグラフィック誌に原稿料をおねだりし、1000ccエンジンを買って(もちろん中古)換装した。エンジンがでかく、右側にハンドルが付かなかったので左ハンドルに。再度車検に持って行ったら、エンジン載せ替えと左ハンドル化に事後承諾はないた゜ろうと係官から大目玉、しかし結局は赦してもらった。なぜこんな無法ができたのか。当時は大人先輩が学生に寛大だったから。なぜ寛大だったかといえば、学生が大人先輩に忠実だったから(ほんとうかネ)。それと、内部告発をしない生涯の友。
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 大学院を終了して研究者、教員に。建築に精出し車熱はめでたく趣味に収まった。なぜこんな私事を書くかと言えば、やってナンボの理系実験系の後輩を励ましたいから。今私が大学院生だったら、多分琵琶湖を飛んでいるだろうな。
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